プロフィール(旧)

 

■はじめに
 私は一部上場企業のサラリーマンです。大学卒業後に入社した典型的な日本の製造会社に平日は朝早くから遅くまで勤務し、休日は妻の小言をもらいながらも月1~2回のゴルフにいそしむ典型的なサラリーマン生活を謳歌していました。サラリーマン生活は快適で、転勤もなく製造部門での業務に約15年間にわたって従事していました。

 私の父(中学校の教師)は末っ子でしたが、種々の事情があって本家を継ぐことになっていました。本家は古くからの地主でしたが、戦後の農地改革によって大半の農地をただ同然に小作人に手放していました。それでも祖父は県会議員を勤め、小作人からの賃料収入で豊かに暮らす生活だったそうです。

 父の兄(叔父)は、朴訥な人柄で本家の農地や山林を淡々と引き継ぎましたが、子供がいませんでしたので、私の父が叔父の養子となり本家を継ぐことになっていました。ところが、叔父が他人の会社の連帯保証人となり、その会社の倒産に伴って、全資産を失いました。私が大学入学直後の出来事でした。著名な弁護士の尽力で、家と農地を競売で取り戻しましたが、本家を引き継ぐことを言い聞かされていた私は、これで何故かすっきりした気分になったことを記憶しています。

 それ以降、本家の呪縛から解き放たれた私は、サラリーマン生活を謳歌していたのです。しかしながら、この生活に転機が訪れたのは、再び起こった本家の相続問題でした。

 

■不動産投資との出会い
 2007年の年末、本家の叔母から建設会社から執拗にアパートを建てないかと営業に来て困っている、と連絡が来ました。倒れたとはいえ、その地域では旧大地主として有名ですし、築100年の大きな旧家と残った田畑がありました。両親から聞いたのですが、私は生まれた直後に叔父夫婦の子供として奪われそうになり、父が必死に抵抗して守ったそうです。このような以前からの流れで本家は私が継ぐこととなり、妻と二人で叔母の養子に入っていました。

 建設会社の提案は、農地を宅地化して近隣の自動車会社に勤務する若者向けの1ルームアパートを3億円かけて建築するという内容でした。自動車会社の大規模工場が近く、将来的に工業人口増加に伴ってアパート需要が見込める土地だったのです。利回りは7%程度でした。土地代を除いてですから、いかに建築会社が暴利をむさぼった提案か一目瞭然です。家賃保証付きという謳い文句でしたが、2年毎に家賃見直しがあり、10年以上になると保証打ち切りの実態でした。私は、3億円という億単位のお金に驚くとともに、叔母が土地保有者とはいえ、連帯保証人となる私の実質的な個人属性で建築費3億円が銀行から借りることができるという事実に、違和感を覚えたのを記憶しています。

 このことが契機となり、ネットや書籍でさまざまな調査を開始しました。新築アパートへの投資は駄目だということはすぐに理解できましたので、中古物件への投資を考えて調査もしてみましたが、アパート経営は儲からないと思っていました。しかしながら、本家が所有する田畑が都市計画区域で5年後に宅地化されることになり、叔母の相続税が結構な額になることも判明しましたので、何か不動産でアクションを起こす必要があることは確かでした。

 ある不動産投資のホームページに出会ったのはこの頃です。ホームページではサラリーマンが収益不動産投資を開始して、その収益でリタイアしたという著者自身のさまざまな試行錯誤の結果、到達した不動産投資手法をコンサルティングすることをPRしていました。少し高い買い物でしたが、教材を購入して会員になりました。不動産投資を実践してみて、相続問題を解決するための知恵を得ることが狙いです。しかし本当の狙いは、ずばり!私自身が不動産投資でサラリーマンをリタイアして本家を再興することです。

 

■怒涛の4年間
 教材を熟読し、会員になり不動産投資のコンサルティングを受け始め、また物件調査を開始して以降、不動産投資に残りの人生を賭けてみるという私自身の強いゆるぎない決意・決断がなされました。

 次のハードルが難関でした。周囲の理解をどのように得るか、投資資金をどのように得るか、相続対策をどのように説明するか、悩みました。決意して、妻に手紙を出しました。今読み返してみると、訳のわからないことも書いていますが、この作戦は成功裏に終わりました。感動・感激してもらい、投資資金も確保して、無事に不動産投資のスタートを切ることが出来ました。特に、妻の両親が応援してくれたのが大きかったです。当然です、早期退職して地元に帰ってきて、皆で一緒に暮らせるように頑張っていますと説明すれば、誰も反対なんかしません。

 実は、妻の壁、親の壁、親戚の壁、が最も大きい障壁になるのです。どうやってこの壁を乗り越えるか、コンサルしている不動産投資家もいるくらいです。今、成功している不動産投資家は皆、この壁を何らかの方法で突破しています。

 その後の活動は、自分でもよく頑張ったと思います。都市銀行からの融資が閉じる直前に2棟購入できましたので、運も見方しました。不動産資産管理法人も設立して、収益分散を図りながら地元の銀行を中心に順調に実績を積みました。2008年7月に一棟目を購入してから、現在(2012年6月)までの4年間で以下の実績を残しました。

 

・ 規模        :**棟、***室
・ 総投資額     :**億円
・ 満室家賃収入  :*.*億円/年
・ 銀行返済額   :*.*億円/年
・ 差引額      :*.*億円/年

 

つづく、、、